PROFILE

高見やすひろYASUHIRO TAKAMI
- 生年月日
- 1980(昭和55)年 10月16日
- 出身
- 島根県出雲市生まれ
- 家族
- 妻、1女、1男
- 座右の銘
- 人事を尽くして天命を待つ
- 趣味
- 家族との散歩
現在の役職
国土交通大臣政務官
自由民主党島根県支部連合会 副会長
議員連盟
更生保護を考える議員の会 事務局次長
日本の領土を守るため行動する議員連盟
事務局次長
自衛隊施設強靭化議員連盟 事務局次長
窯業建材推進議員連盟 事務局次長
わさび振興議員連盟 幹事
農村基盤整備議員連盟
鳥獣捕獲緊急対策議員連盟
森林整備・治山事業促進議員連盟
水産政策推進議員協議会
治水議員連盟
郵便局の新たな利活用を推進する議員連盟
看護問題対策議員連盟
※その他多数の議員連盟に参加し、政策実現のため活動しています。
高見やすひろの歩み
誕生から大学院卒業まで
誕生
幼少期
二人きょうだいの弟として生まれました。3460グラムと、今となっては想像がつかないような、がっしりした体格だったようです。姉とは4歳離れているせいか、仲良しで、けんかをした記憶はほとんどありません。

小学校時代
平田市立灘分小学校
小学校へは川を渡って30分歩いて通っていました。雨が降ると冠水してしまう小さな橋があり、大雨の日に、「今日は橋が沈んでいます」という校内放送を聞いてがっかりしたものです。通学路では低学年の児童の面倒を見たり、遊びを考えたり、地域の大人と話したりと、学校では得られない経験をたくさんしました。

中学校時代
平田市立平田中学校
中学校では生徒会長を務めました。同級生が交通事故で亡くなるという痛ましい事故があり、自分たちに何ができるのか、生徒会で話し合いを重ねました。署名を集め、議員に面会し、交通安全対策の強化を訴えました。この時の経験から、将来政治家になりたいと考えるようになりました。
高校時代
東京学芸大学附属高校
東京の暮らしにあこがれ、中学卒業後に1年浪人して高校へ入学。当初反対したものの、最後は背中を押してくれた両親には感謝しかありません。高校では陸上部で長距離に打ち込み、仲間とたすきをつなぐ駅伝に魅せられました。

大学・大学院時代
東京大学法学部・東京大学公共政策大学院
大学・大学院では多くの尊敬すべき先生方や仲間に出会い、特に政治や外交・安全保障について研究しました。公共政策大学院で師事した元イスラエル大使の茂田宏先生には、情報・情勢分析の大切さを学び、今も政策を考える上での基礎になっています。
社会人から島根県議会議員まで
新聞記者
事件や事故の現場に駆けつけて取材する、いわゆる「サツ回り」の記者として、警察幹部の自宅に「夜討ち朝駆け」を繰り返す日々でした。青森県の八甲田山で起こった雪崩事故の現場で、人命救助にあたった自衛隊員の姿に感動し、自衛官への転身を決意しました。
海上自衛隊
広島・江田島の幹部候補生学校(旧海軍兵学校)、遠洋航海を経て、護衛艦乗組を経験しました。瀬戸内海で15キロを8時間かけて泳ぐ「遠泳」が一番辛かった思い出です。江田島での生活は人生の中で最も厳しい時間でしたが、共に乗り越えた同期は一生の宝物です。

卒業式で父と
学習塾教室長
出雲市にUターンし学習塾の教室長に。生徒や保護者と日々接する中で学んだことは、思いをまっすぐ伝えることの大切さでした。相手にとって耳の痛いことでも、真摯に訴え続ければ、たとえ一度では伝わらなくても思いは届くという経験を何度もしました。
島根県議会議員
島根県議会議員初当選
2期6年務めた島根県議会議員では、こども・子育て政策や教育、防災、産業振興などに特に力を入れて取り組みました。『議員って普段何してるの?』とよく聞かれることに気づき、議会ごとに議会だよりを発行、タウンミーティングを開催し、『政治の見える化』を進めました。
衆議院議員
衆議院議員 1期目
防衛大臣補佐官
法務大臣政務官
自民党青年局 学生部長
中央政治大学院 副学院長
規制改革に関するプロジェクトチーム 事務局長
縦割り行政打破に関するプロジェクトチーム 事務局長
など
衆議院議員 2期目
国土交通大臣政務官